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あいさつ

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「ラグビーが人生の支えに・・・」

今年の9月1日、市内のホテルで「葦原ラグビー」創立70周年の記念式典が行われました。(葦原とは新潟商業高校の愛称)往年の名プレーヤーや先輩後輩たちが一堂に集い、とても懐かしい時間を過ごしました。
私が新潟商業に入学したのは41年前の昭和51年。「農家の長男がなぜ農業高校に行かんのか」母の話ではそんなふうに村の人たちから言われたようですが、野球小僧の私としては早稲田カラーのあの“新商”のユニホームを着たいという思いが強く、進路は結局“新商”になりました。しかし、仮入部〜クラブ説明会と、すっかりラグビーの魅力にハマった私は信念を覆しラグビー部へ。私の人生の一つの転換点だったと思います。そこで出会ったのが当時37歳だった山田栄一監督でした。(現在県のトップ4の監督は全てこの人の教え子です)この山田監督こそが私の中での“男の中の男”理想の男性像になったのです。
 「貴様!それでも男か‼︎」「男はガットにいけ!」(青森出身の山田監督は新潟弁のこの“ガット”が好きでした)「ガニ股で歩くな!」これらは当時よくいわれたベスト3です。
 入部して驚いたのはラグビーというスポーツの激しさと痛さでした。”ランパス”から始まる練習はとにかく走って走って走りまくること。時々走るのをやめたと思ったら痛い痛いスクラムの練習です。耳がピーマンのようになっていた先輩がいて(あだ名もピーマンでした)あの耳にだけは絶対なりたくないと心に誓ったものです。
この年(1975年)山田監督は部員全員に素晴らしいプレゼントをしてくれました。なんと9月に来日した当時世界最強のウェールズ代表とジャパンとのテストマッチの観戦に連れて行ってくれたのです。7万人の観衆で膨れ上がった国立競技場の興奮は今も忘れません。それ以降、私は完璧にラグビー小僧に変身。世界のトッププレーヤーの自伝を貪るように読み、ラグビーにも真剣に取り組むようになりました。高校3年間の集大成であるインターハイでは三年連続決勝で宿敵新潟工業に敗れましたが、その後5年間オール新潟でプレーする機会も得て、敵味方だったメンバーとも無二の親友に。それが人生の大きな支えになったことはいうまでもありません。
 やがて80歳を迎えようとする山田監督のスピーチを当日聴きながら、目を瞑ると若かりし頃「タックルは靴紐めがてけ行け!」と身をもって手本を示した姿が浮かんできました。
 監督は今も自前の畑で採れた野菜やリンゴを会社に届けてくれます。生涯を通して見守ってくれる山田監督を通し出会った言葉で今回のコラムは締めくくりたいと思います。「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる・・」この言葉はフランス往年の名プレーヤー、ジャン・ピエール・リーブの言葉です。この心を忘れず、溌剌とした精神を持ち続け、これからも社業に精進して行かねばと改めて決意する次第です。

 代表取締役社長 鹿島純一

             

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